俳優・歌手の「渡 哲也(わたり てつや)」さんが「肺炎で死去」というニュースが飛び込んできました!
160本以上の作品に出演してきた大スターの訃報、とても残念です。
何度か大きな病気を患った過去があるのですが、その闘病は壮絶だった!?と話題になっています。
また「妻に残した遺言」についても注目が集まっています。
…ということで、ここでは渡哲也さんについて、壮絶な闘病の過去・家族に残した遺言など詳しく調べていきたいと思います♪
・プロフィール
引用元 https://www.crank-in.net/news/79738/1
名前 渡 哲也(わたり てつや)
本名 渡瀬 道彦(わたせ みちひこ)
生年月日 1941年12月28日
没年月日 2020年8月10日
没年齢 78歳
出生地 島根県能義郡安来町(現・安来市)
出身地 兵庫県淡路島
身長 180cm
血液型 B型
事務所 株式会社石原プロモーション(相談取締役)
故「石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう)」さんと同じ誕生日の渡哲也さん♪(年齢は渡哲也さんが7歳年下です。)
俳優・故「渡瀬 恒彦(わたせ つねひこ)」さんの兄で、テニスプレーヤー「錦織 圭(にしこり けい)」さんと遠縁なんだそうです。
父は「日立」に勤務していたのですが、戦時中に実家がある広島に帰り洋品店を営んでいたと言います。
本当は、渡哲也さんは4人兄弟だったそうなんですが、物資不足で、兄と一番下の弟を亡くしています。
引用元 https://www.oricon.co.jp/news/2087562/full/
学歴は「淡路町立石屋小学校」を卒業後、「三田学園中学・高等学校」で6年間の寮生活を過ごし「青山学院大学経済学部」へ進学・卒業しています。
大学在学中は空手道部 (日本空手協会・松濤館流)に在籍していたそうで、空手は弐段。
柔道は初段の腕前だと言うことです。
芸能界入りのきっかけとなったのは「浅丘 ルリ子(あさおか るりこ)」さんの100本目の映画の相手役「ミスターX」オーディションに、友人や渡瀬恒彦さんが応募したから…と言うことです。
自分の知らないところで応募されていたことに一旦は激怒したそうですが「日本航空」の入社試験に落ちてしまったところ!
「石原裕次郎に会えるかもしれない!」と言われて訪れた日活撮影所でカレーライスを食べていたところ、たまたま隣に座っていた関係者からスカウトを受けたと言います。
ミスターXに選ばれたのは「伊丹 十三(いたみ じゅうぞう)」さんだったのですが、渡哲也さんは期待の新人と称され、1965年の映画「あばれ騎士道」でエランドール賞新人賞を受賞しています。
引用元 https://www.nikkatsu.com/movie/20848.html
日活ニューアクション時代のスターとなった渡哲也さんですが「石原プロモーション(以後・石原プロ)」へ入社。
現在の価値に換算するとサラリーマン4年分の年収にあたる180万円を持って、石原裕次郎さんのもとに訪れたんだとか。
「大都会」&「西部警察」シリーズなどで活躍され、借金で傾きかけていた石原プロを再建しました。
引用元 https://www.amazon.co.jp/
石原裕次郎さんから弟のように可愛がられいた渡哲也さん。
石原裕次郎さんが亡くなった後はファンも参加できる盛大な法要を営み、弔い上げました。
日本でも数少ない偉大な俳優で、周囲からは『常に心配りが温かい人だった』と早すぎる死を悼まれている渡哲也さん。
在りし日の姿を振り返っていきたいと思います。
・肺炎で死去…?
以前から呼吸器に疾患を抱えていた渡哲也さんですが、2020年8月10日、都内の病院でお亡くなりになっていたと報じられました。
「肺炎」と死因の発表や「お別れ会などは行われない」ことから「新型コロナウイルスだったんじゃないか?」という憶測も飛び交っているようです。
引用元 https://natalie.mu/eiga/news/392114
後でもご紹介させて頂きますが、2015年6月に心筋梗塞の手術を受けた後は、酸素吸入器を使用しなくてはならないほど体調を崩されていたんだとか。
渡哲也さん本人の意思で大々的な葬儀は執り行わないということなので、文字通り「肺炎」が原因で死去されたものと思われます。
若い頃はタバコやお酒も嗜んでいたそうですが、元々お酒はあまり飲めないのに無理して飲んでいたんだとか!
お酒のCMに出演されているのに、意外ですよね。
繰り返し飲んでいるうちに、人並みに飲めるようになったと言うことです。
引用元 https://middle-edge.jp/articles/83pFQ
病気をきっかけに、タバコを辞めお酒は減量していたそうで、健康に留意して過ごされていたご様子。
個人的には出演していたドラマや映画だけでなく、歌手として♪「くちなしの花」も渋くてカッコ良くて大好きでした。
78歳でのご逝去、突然すぎて驚きましたし、ショックを受けている方は多いのではないでしょうか。
・過去の闘病は壮絶だった…?
渡哲也さんの過去の闘病が壮絶だった…と注目が集まっています。
これまでに患った病気について、見ていきます。
1973年頃、「膠原病(こうげんびょう)」高熱に悩まされ、胸膜炎も発症。
NHK大河ドラマ「勝海舟」の主演に抜擢されていましたが、降板することになってしまいました。
引用元 https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-760637/
1991年5月、「直腸がん」が見つかり、同年6月に直腸を25㎝切除し、人工肛門を装着する手術を受けています。
「柏木 純一(かしわぎ じゅんいち)」さんの著書「渡哲也 俺」に、闘病の様子が描かれています。
1997年7月には早期の「大腸がん」が見つかり、内視鏡手術。
2015年6月には「急性心筋梗塞」により緊急手術。約1ヶ月入院されていました。
引用元 https://www.sponichi.co.jp/
若い頃から、体調を崩したり怪我にも見舞われた渡哲也さんですが「撮影に穴を開けることはできない」と、痛みを堪えて撮影を乗り切るなんてことも多々あったようです。
肺気腫など呼吸器疾患という持病を抱えていたため、酸素吸入器を付けて生活することもあったんだとか。
演じることに一筋で頑張ってこられた男らしい性格。
時にはバラエティ番組でドッキリを仕掛ける側…なんてオチャメな一面も♡
近年も闘病の傍ら、「宝酒造」のCMやインタビュー収録をこなされていました。
引用元 https://www.takarashuzo.co.jp/news/2019/TS19-098.htm
東日本大震災・熊本地震では石原軍団として炊き出しを行うなど優しさ溢れる人柄が愛されて来ました。
被災した方が大変な時に、自分たちだけ布団に寝るわけにはいかない!とブルーシートの上に寝袋。
1週間、お風呂も入らないでボランティア活動に励んでいたと言います。
「十津川警部」シリーズや「おみやさん」で有名な弟・渡瀬恒彦さんも体が強くなく…
「脳梗塞」や「胆嚢癌」「肺気胸」「敗血症」などの闘病経験があり、2017年3月14日、「胆嚢癌」で亡くなっています。
もっと長く、たくさんの作品でご兄弟が活躍される姿を拝見したかったですね!
・妻に残した遺言とは…?
石原プロを支えてきた渡哲也さん!1967年には「吉永 小百合(よしなが さゆり)」さんとの熱愛が報道されていました。
初共演した映画「愛と死の記録」がきっかけだったようですが、吉永小百合さんの実家へ訪れたり、周囲に「うちのカミさん」と話すほど親密だったそうです。
しかし…吉永小百合さんの両親が「あんなにモテる男性と結婚したら小百合が不幸になる」と結婚に反対したため、2年ほどで破局してしまったんだとか。
悲しい別れがあったんですね(泣)
引用元 https://koimousagi.com/36224.html
1971年に渡哲也さんが結婚したお相手は「青山学院大学」の同級生「俊子」さん♡
2人だけでハワイウェディングをされたそうです。
翌年、奥様の妊娠中に、渡哲也さんは「肋膜炎(ろくまくえん)」(現在でいう胸膜炎)で2ヶ月の間入院!
1972年に長男が誕生していますが、かなりの早産で一時期は「短い命かもしれない」と診断されていたんだとか。
そのご長男も立派に成長され、ご両親と同じく青山学院大学を卒業し、大手ゼネコンに就職!
実家から徒歩2分の一戸建てに暮らしていたと言います。
引用元 https://asuka-shimizu.com/recentry-news/wataritetuya/
渡哲也さんが入院すると、泊まり込んで看病し、退院後は自宅でリハビリできるよう機器を揃え、食生活の改善に取り組んでいた奥様・俊子さん。
がんが発覚した際は、医師に「どんな形でもいいから生きていてほしいんです」と懇願したそうです。
大スター・名俳優ですが、様々な苦難に直面し、ご家族に支えられ乗り越えて来たんですね。
引用元 https://maidonanews.jp/article/13640945
気になる「遺言」なんですが…渡哲也さんって、本当に周りへの気遣いができる方だったんだなと思います。
「自分の訃報は、葬儀などすべてが終わるまで誰にも知らせるな。社葬も行わないように!」と話していたそうで、石原プロの関係者には12日に打ち明けていたそうですが、故人の思いから、14日に行われた家族葬に石原プロからの参列はなかったそうです。
最近、お見かけする機会が少なくて体調が心配でしたが、報道によると今年6月まで活動されていたと言います。
かつての恋人・吉永小百合さんも「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか。大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です。」とコメントされていましたが…
本当に残念です。
ご家族や親しかった方達の悲しみはいかほどか、計り知れません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。