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八千草薫がすい臓がんで死去!若い頃は超かわいい&子供がいない理由は?

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大女優の「八千草 薫(やちぐさ かおる)」さんが2019年10月24日、「すい臓がん」で死去されました。

若い頃は超かわいい八千草薫さん。どのような人生を歩んでこられたのでしょうか。

また「子供がいない」そうなんですが、理由は何でしょう?気になります。

…ということで、今回は八千草薫さんについて調べていきたいと思います!

 

 

・プロフィール   

 

 

名前 八千草 薫(やちぐさ かおる)

本名 谷口 瞳(たにぐち ひとみ)

旧姓 松田 瞳(まつだ ひとみ)

生年月日 1931年1月6日

現年齢 88歳没

出身地 大阪府天王寺市

身長  154cm

血液型 O型

事務所 柊企画

 

 

・膵臓がんで死去…?   

 

数多くのドラマや映画で母や祖母役をこなされてきた八千草薫の死因は「膵臓がん」だそうです。

88歳だったということですが、もっと若いイメージだったので、驚きました。

2017年の末に「乳がん」であることがわかり、2018年1月に手術を受けています。

2019年には肝臓にも「がん」が転移。

治った…と思った矢先に、次々と体を蝕んでくる病気が憎かったことでしょうね。

 

 

近年は「やすらぎの郷」の「」役で活躍されていました。

続編の「やすらぎの刻~道」にも出演していましたが、途中降板

八千草薫さんが演じていた「姫」こと「九条節子」は「風吹ジュン(ふぶき じゅん)」さんが代役に決まりました…

ん~…やはり、八千草薫さんでなければ、演じきれない役柄になってしまっていますよね。

 

 

体調を整えまして、より一層楽しんで頂ける作品に参加出来るように帰って参ります」というコメントを発表されていたので、復帰を楽しみにしているファンの方は多かったと思います。

とても残念です。

 

 

・若い頃は超かわいい♪   

 

2歳の時にお父さんを結核で亡くしたため、母子家庭だったそうです。

小2の頃には、神戸の祖父母に預けられて、母と離れ離れで暮らしていた経験もあると語っていました。

自宅は空襲で焼け落ちてしまうという災難にも遭い、現実とは真逆の華やかな世界に憧れを抱いていた八千草薫さん!

ミッションスクール「プール学院」という女子校に通われていたのですが、「宝塚音楽学校」に合格し1947年に「宝塚歌劇団」へ入団しています!

 

 

宝塚の「戦後第1期生」である八千草薫さん。

レッスンでお腹が空くけれど、食糧難で大変だった」と語っています。

お母さんが着物などを売って「闇米」を買ってきてくれたということですが、本当に苦労した時代だったと当時を振り返っておられました。

若い頃」の八千草薫さん!超可愛いです

 

 

有馬 稲子(ありま いねこ)」さん、「新珠三千代(あらたま みちよ)」と「三人娘」と売り出されていました!

どんな役柄も的確に演じきってしまう実力を評価され、劇団内に新設された「映画専科」に所属。

舞台だけでなく映画出演もするようになりました。

とても可愛い八千草薫さんですが、仕事に対してはストイックな一面があったと言われています。

…というのも「赤い疑惑」に出演した際、当時、超売れっ子だった「山口百恵(やまぐち ももえ)」さんに合わせてスケジュールが管理されるので、撮影が途切れ途切れになることが多かったそうなんです。

八千草薫さんは「納得できない」と途中降板

超かわいいですが、仕事に対して真面目な性格だったことがわかりました。

 

 

1997年には紫綬褒章、2003年には旭日小綬章。他にもアカデミー賞などたくさんの賞を受賞されています。

理想のお母さん、おばあちゃんを演じてこられた大女優。

年をとっても、変わらぬ可愛らしさのある女優さんでした。

 

 

昔も可愛いと言われている芸能人は…?

川瀬莉子さんの子役時代が超かわいい

南沙良さんのニコラ時代が超かわいい

 

 

・子供がいない理由は…?

 

八千草薫さんは1957年に「谷口千吉(たにぐち せんきち)」さんという映画監督と結婚していました。

谷口千吉さんは1912年2月19日生まれ、誤嚥性肺炎のため2007年10月29日に95歳で亡くなっています。

 

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谷口千吉さんは「早稲田大学文学部英文科」を中退し、1947年に監督デビューされています。

デビュー作は「銀嶺の果て」という映画で、日本を代表する俳優「三船敏郎(みふね としろう)」さんのデビュー作でもあります。

1910年生まれの「世界のクロサワ」こと「黒澤明(くろさわ あきら)」さんとは親友だったそうです。

芸術の黒澤、娯楽の谷口」といわれるほどでしたが、あまり仕事に熱心な方ではなかったとか。

 

 

谷口千吉さんは2度の離婚歴があります。

一度めの結婚は脚本家の「水木洋子(みずき ようこ)」さんという方。

ひめゆりの塔」や「竜馬がゆく」などの作品を発表された、すごい女性だったのですが…

1938年12月に挙式、1939年10月にスピード離婚

1949年には「清純派スター」と名高い「若山セツ子(わかやま せつこ)」さんと再婚しています。

若山セツ子さんとは1956年に離婚しているのですが… その翌年1957年に八千草薫さんと再々婚!

略奪婚」と世間から反感を買う結果となってしまいました。

 

 

八千草薫さんが当時の心境を語っていたので、ご紹介します。

出会った時には(谷口千吉さんが)結婚していたので、自分には遠い存在だと感じていた」そうです。

その後、離婚したと聞き「ますます一緒にはなれない人なんだと思った」と語っていました。

とは言え、親交はあったようで谷口千吉さんから『もう会うのは止めましょう』と手紙が送られてくると…

手紙でお別れなんて…と会った瞬間、一緒にいたいと思った

八千草薫さんは運命を感じてしまったんですね。

ただ「結婚という形ではなくて、一緒に居られれば良い」と始めは思っていたそうです。

でも「気持ちが辛くて耐えられなくなった」…と深い愛情を語っています。

 

 

ドラマ「岸辺のアルバム」で不倫する妻を演じていらっしゃいますが、プライベートの苦悩はかなりのものだったでしょうね。

イメージの悪い映画監督に出資する配給元もいなくなってしまい、谷口千吉さんの監督という仕事は途絶えてしまいました。

谷口千吉さんが68歳運転免許を取り八千草薫さんの送迎をしていたそうです。

八千草薫さんも1年ほど仕事がなくなったり、イメージを損なってしまったので、谷口千吉さんは申し訳なく思っていたでしょうね。

八千草薫さんは「先生」と慕い、50年間添い遂げられました。

谷口千吉さんが「あと何時間生きられるだろうか…」という時にも撮影の予定があり看取れなかった…ということですが、95歳の大往生。

幸せな気持ちで旅立たれたのでは…と思います。

 

 

前妻の若山セツ子さんですが、この出来事が理由で精神不安定な状態になり、表舞台から一時、姿を消しました

引退から10年後の1971年に芸能界に復帰するのですが、徐々に奇行が目立つようになり、母の死というショックもあって1985年に首吊り自殺で亡くなっています

八千草薫さんも谷口千吉さんも、人の不幸を願っての結婚ではなかったと思いますが、色々と感じる部分があったと思います。

 

 

結婚した時には、八千草薫さんが26歳谷口千吉さんが45歳。19歳の年の差です。

出産が望めない年齢ではないですよね。

子供がいない理由」はお二人にしかわかりませんが、自分たちだけが普通に幸せになることについては悩まれた結果ではないかと思います。

犬や猫・メダカなどを飼ったり、夫婦で山登りを楽しんだりと、二人の生活を大切に過ごしていらっしゃいました。

八ヶ岳の麓に別荘もお持ちだったとか。

谷口千吉さんが亡くなった後は、お子さんも居らず一人暮らしだったので、終活にはこだわっていたそうです。

高齢者施設への入所も考えたけれど、極度の人見知りのため入院前までお手伝いさんや近隣の方の力を借り、自宅で過ごされていたということです。

とてもしっかりした方で、いくら具合が悪くても自分で下着を洗っていた…と15年お世話してきた家政婦さんが話していました。

 

 

書籍「まあまあふうふう。」は谷口千吉さんの口癖で、八千草薫さんの人生観が綴られているフォトエッセーです。

谷口千吉さんに「力を抜いて生きる」ということを教えてもらったと話していますが、最後までしっかりと自分と向き合って生きてこられた方なんだなと感じました。

ご高齢とはいえ、惜しい方を亡くしました。

今頃、先立たれた旦那様と会っていらっしゃるでしょうか!?ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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